愚痴 その1
今年は民家の仕事が少ない。
昨夜、国営放送の番組の歴史秘話ヒストリーで法隆寺を取り上げていた。
その美的・文化的・歴史的・技術的…素晴らしさと保存の意義を
様々な角度から捉えていた。
『先ずは歴史を残してこそ新しいものが生まれる』とフランスの修復技師が、
脱亜入欧と言われた時代『西洋に負けない日本の美を守るのだ!』と岡倉天心が、
『木造は木の癖組、木の癖組は人の癖組』と宮大工西岡常一が
代々受け継いで来た言葉を話していた。
木造建築も機能や社会条件に合わせて形やデザインが目新しく次々と生まれては消え、
まるで泡沫の様で何が本物かが分からなくなって来て久しい。
だから民家というわけではないが、少なくとも先人が造り続けて来たものを見極め、
その上で先を見つめることが第一だろう。
自分はまずその入り口で古の技と心に圧倒される。
民家が必ずしも全てではないが、
民家には間違いなく新しい発見と貫かれた豊かさと真理が潜んでいる。
歴史ある民家から学ぶことは無限にあると確信している。
時代は平準化と多様化という矛盾の中で、小規模で一様で
自分勝手で希薄な住まいに溢れている様に見える。
昔の様に大家族で代々守っていく民家は時代遅れであろうが、
こじんまりとした魅力的な住まいは造れる。
例えば古い土蔵を再生してそこに不足部分を足して時代に合った建物にできる。
それも新築並みの費用でだったらどうだろう?
もしこのブログを読んでその気があるならチョット話しかけて欲しい。
残された時間は長くはないが、やりたい仕事は山ほどある。
そしてこの仕事を通して世の中の役に立ちたいと思っている。
川上