焼津へ──重伝建の視察
我が平出村が国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の候補にあがり、先日、村人と塩尻市教育委員会一行20名ほどで静岡の焼津に行った。
平出は本棟造の農村民家集落ということで重伝建の登録条件は満足しているというが、もとより観光地化をして目立とうというようなものではない。あくまで生活の場であり、同じように観光地化を望んでいない重伝建のここを参考にしようと出かけた。そこは数年前に指定された先進地で、海から少し内陸に入った谷あいの小さなミカン集落であると聞く。
塩尻市役所のバスで向かった先には、地元の住人と教育委員会の担当者が待っていた。
熱心で若い担当者に案内されて坂道を進むと、山に向かった狭い傾斜地には細い川と道しかなく、道に沿って石垣が積まれ、その上に肩を寄せあうように家並みが続く。
かつてはどこにもあった佇まいで、何ということもないがどこか懐かしい。
最近は少しは人が通るとみえて遊歩道ができ、家の入口の縁台には畑で採れたばかりのミカンが並べてある。しかし、聞けばやはり過疎化も進んで空き家が増えたとも。
集落の外れの公民館にたどり着いて、そこで地元の人との話が聞けた。
ここで暮らす人にとっては、建物の修理と耐震補強のための補助金も出て、過疎の町にとってはありがたい制度だという。住民の中には見知らぬ土地のここが気に入って、終の住処としてIターンしてきた人もいた。本音の悩みを聞いたり質問を交わして帰途に着いた。
この焼津もそうだが時代に取り残された土地ほどこの国の証人はない気がする。
特別なことではない、当たり前のことを当り前にしていればよかった。
流行に追われて自分本来の姿を捨ててきてしまった罪は大きい。
今こそこの国の住まいのあり方を本気で考えて欲しい。誇りと共に。
せっかくなので帰りは海辺の魚市場でアジの開きを買った。
帰りのバスの中で、いつものようにマイクを取って皆の前で思いの丈を話したが、さぞかし迷惑だったことだろう…。
とにかく我が故郷の平出を見直していきたい。
故郷を愛する住人の一人としてこれからが大切だと思った。
川上