捨てる神・拾う神
勝手に立ち上げた民家レスキュー隊の取材があって地元新聞に載ったのだが、早速使われなくなって久しい民家の相談があって出かけた。築90年を越える典型的な昭和初期の民家である。
街中にあって小庭を持った瓦葺き入母屋2階建の小規模な民家である。ムクリ屋根の玄関を入り、内部をひと通り見てから簡単に間取りを取る。
仏壇のある二間続きの座敷あり、縁側あり、洋間ありで、嘗ての生活が伺える。
長い年月で多少傷んでいるがしっかりしていて充分使える民家と見た。
ここで生まれ育った娘さんの話を伺うと、相続して管理しているが別に家が有りどうしたものか戸惑っていた。
ところで建物の価値とはその思い出も含め多分に主観的なものであって、勝手に判断してはいけないと常日頃思っている。
とにかく先ず悩みやいきさつなどを聞いてから、せめて建物や家財道具の価値や大切さを伝える。材、技、型や使われ方などなどを話すとその反応に手応えを感じる。
と同時に使い勝手やそれに先立つ予算となると高いハードルに途方に暮れている様子も伺える。先ずは現実を知り、それからご家族みんなで対策を考えてもらい、改めてその家族会議に参加させてもらうことで初面談は終わった。民家レスキュー隊長として捨てる神ならぬ、拾う神になりたいものだ。
もう一つ、
今日は突然メールに大学3年生から連絡があった。それも建築ではなく人文学部の学生さんで比較文化を専攻しているという。我が活動を知り民家の魅力を直感したので1年休学して深く知りたい。そのために民家レスキュー隊に参加したいという。
すぐさま親や教授の戸惑う顔が浮んだ。と同時に今時こんな若者が居るとは世の中捨てたものではないとも。
この国の建築のかたちに光が刺した思いで、まさに「拾う神」である。
となれば精一杯応援するだけである。
川上