かわかみ建築設計室

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民家の話


設計の仕事をして今年で50年・73歳となる。
ここまで目標もなく頼まれたものをただがむしゃらにやってきたが、結果として『民家』に至った。
そして今、民家に学んでいる。


古民家は今でこそ少し注目されてきたが、今までは役に立たないお荷物であり、過去の感傷だけのシロモノと考えられていた。
遅きに失した感はあるがその素晴らしさを改めて感じている。
あとわずかな人生ではあるが、このことを伝えたり活かさないでこの世とおさらばするのはやってきた甲斐がないし、お天道様に申し訳がない。


とにかく思ったままに書き出してみる。


その1・民家とは差別用語であった?。
その2・民家は家族よりも人様の為に造られた?。
その3・民家は無意識で個性が無かった?。
その4・民家は狭かった?。
その5・民家は華奢に見えて強い?。
その6・民家はプレハブだった?。
その7・民家は合理的で素直だった?。
その8・民家はそのままで美しい。
その9・民家の寿命は人の6倍もある!。
その10・民家は今よりずっと大切に使われた!。
その11・民家はそのほとんどが地元材で手造り。
その12・民家は多用途に再活用出来る。
その13・故に民家は新築以上の価値がある。

などなど・・。


とにかく全てが今の価値観だけで判断するのは早計であろう。
これらのことには当たり前と愕然が同居するだろうから、これから少しずつ説明します。


まずは一言。


住まいの寿命は物理的耐久性と使う人の条件や気持ちで決まるのに、今はただ耐久性だけが問題視され、自分一代の都合だけで空家になるか消滅する。
とはいえ使う人の馴染みとか愛着は耐震対策よりも大切だとして残っているのも皮肉なことであり、これもまた昨今の空家問題でもある。

モノを大切にすることは昔から世界に誇るべきこの国のお家芸で今に始まったことではない。
あらゆる生活習慣がモッタイナイの上に続いてきた。(詳細は省略)

また昔の建物や街並みを見ると懐かしいと感じるばかりでなく、価値としても新しいものが優れているとはいえないこともあるのでは・・。

『古くて正しいものは永遠に新しい』というカール・ラーションの名言が突き刺さる。

今でも民家ばかりでなく古くてモダンなモノに囲まれて暮らしていたら、どんなに優しく豊かな気持ちでいられただろう。

目新しくシャープで白くて鋭いものに囲まれていると人の心もキツくなり、犯罪も増えるのではとさえ思う。



僅かになってしまった民家は静かにそのことを語りかけてくる。


つづく。


川上

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松岡フラスコ
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