民家のよもやま話 あこがれと誇り
人がこの世に暮らす上で必須なものとは、まず自身の身体がある。その上で二つのエネルギーとしての大きな栄養がある。
一つは物質的なもの。もう一つは精神的なものである。
それらは共に文化である。文化は衣・食・住の3つのことで、その一つに『住』があり、一口には言えない大変な拡がりがある。
ところで住の一つ、家を造る・買うとは住む場所を確保することだがこれが一生の一大事である。
とにかく覚悟がいる。莫大なお金がかかる。人手も手間もかかる。気力がいる・・。
それにはかつては一代では出来ず、何代もかけて造って長く使うしかなかった。
生涯の稼ぎの約2割が建築費に消えてそれを一生掛けて支払うのである。自分で決めるのだが大変な事件である。まさか一代で手に入れる時代が来るとはご先祖は想像できなかっただろう。
民家の仕事でいつも思うことは、自分の家が持てるとは簡単に出来るものでなくまさに『憧れ』であった。
額に汗して働き、神様・ご先祖・ご近所さん・子孫にも覚悟と感謝を伝えて大切に守り使ってきたものだ。地鎮祭・上棟式・家移りの儀式にしても、祈りというかけがえのない大事なセレモニーであろう。

その上での『誇り』が芽生えてきたのだろう。だから孫末代まで使い続けられると信じ、まさか空き家になるとか、ましてや壊すなどとは考えも及ばなかったはずだ。
昨今は一代で2軒も建てられたり、一代で壊す事が当たり前になっていて、メーカーも盛んに建替えを宣伝する。
お金を回して新しくすることが良いことで豊かになった証明のように・・。
とんでもないことである。

戦後の止むをえなかった安直な家造りの反省のもとに、いい家を造ることは願ってもないチャンスであり未来への希望である。
とは言え社会構造の激変から来る人口減少の歪みに対処できないでいる現実があるの中で未来は全く見えていない。いい家の価値とは何か?
戦後80年を超えて本来の家造りの何たるかを今の今真剣に考えてもらいたい。
モノを大切にするということも含め『憧れ』と『誇り』は時代が代わろうと普遍の価値であると思う。
川上
