家は育てるもの
先日、10年ほど前のお施主さんから久しぶりに連絡があった。
そろそろ手入れも考えているとのこと。
「家は造るものでなく育てるもの」と言われたことを思い出したという。
言った本人がそのことを全く覚えていないことが申し訳ないが、私がよく口にしているようである。
昨日、聖十字認定こども園の増築工事が終わって引き渡した時にも一言請われ
「建築は出来た時が完成ではなくこれからが大切で、育てるものではないですか」
と話した。気に入ってくれただろうかとのこちらの多少の不安と言い訳もある。
建物は引き渡してから時間が経つと、少しずつ痛んできたり、使い勝手が最初の目論見とは異なったりと不都合なことが出てくる。その時に、手入れをしたり模様替えをしたりと工夫して少しでも良くしようと努力する。
久しぶりに伺った家で思いもよらぬ工夫がされているのを見て、驚きと安心が込み上げる時がある。当人は意識しなくても、家は間違いなく育っているのだ。
設計の段階では、お施主さんと私たちが一緒に一生懸命考えて、イメージを形にする。高い買い物ゆえ、最新機器を取り入れたり、将来を見据えて使い方を精一杯工夫して、理想の家づくりをしたはずである。
しかし子供が成人して家族構成が変わったり、年老いたり、生活の様子が変わると、なかなか最初のイメージ通りにいかないことが出てくる。
ちょうど子育ても同じだ。
親の思うように子は育たない。
ところがいつの間にか親になっている自分に気がつく。
「子育てという自分育ち」ではないかと思う。
上手くいかない…と悩む時期があっても、愛情をかけていればいつのまにか育っている。
最も大切なのは愛情ではないか。
家づくりも使いながら造り続けるという、愛情で「育てる」ものだと思う。
こども園という、子育てを支援する場であればなおさらに。
川上
左は敷地内に生えていたメタセコイア。
建築の支障となるため伐採したが、柱として次の役目を負っている。