米寿のお祝いの集まり
わが恩師降幡廣信先生は今年米寿を迎えた。
民家再生の道を切り拓いた人で今なお現役の第一線で活躍している。
僕より23歳年上で、ふつうであればとっくに定年のはずだが、ご本人は民家の大切さを説き日本中を飛び回っている。なかなか真似のできないことである。
育った弟子は50年間で約80人。かなりの数である。
そこで皆で集まって米寿の祝いをしようと企画を立てた。
この仕事はなかなかお金に縁がないので、せめて気持ちだけでもと寄せ書きの文集をそれも手書きで原稿用紙に書き込んで贈ろうというものである。
ところが期限になってもなかなか集まらない。聞けば苦手で億劫なのだという。
そこで一人ずつ電話を掛けて提出を迫った。
文章のうまさではない、心なのだということと、それが出来なくてはいい設計はできないということも伝えた。
嫌な役目であるが、先生は自らやってきたのだ。
「下手でも自分の言葉を持って伝える努力をしなさい」と。
やがて様々な言葉が集まって来た。その殆どが先生に出会った時の最初の言葉である。
それが今になって天の声となっているのだろう。
そして今の住宅事情を嘆き、この道の大切さと出会いの幸運の「声」が届いた。
先生は日本の住まいの真のありかたに導いてくれたのだと思わずにはいられない。
川上