無意識
木と地域と伝統に拘って、特に民家に拘って設計を続けて、いつの間にか40年。
ところが極まるどころかいつまでも中間点である。
過去は未来のためにある中で、生きる今が一番で、それが新しさで、未来につながる仕事としてやってきた。カッコよさは考えずに。
ところが現代の新しい住宅雑誌をめくると、白くて軽快でシャープで可愛く、カッコ良さそうな家が目に飛び込んでくる。
良し悪しは別として二つの傾向があろうが、いずれも強く意識して造られている。
一つは強く拘って自分だけの住まいであり、一つはみんなと同じという安心感のある住まいなのだろう。
ところが民家は無意識に出来ている。
目にする者はなべて何気なく気になり、ただただ美しく感じているはずだ。
子供や動物や花と全く同じに。
かつての民家は職住一体の住まいで、ごく自然の一部としてそこにあった。
生活を守ってくれる大切な空間を近所や親戚や職人さんが力を合わせて造ったわけだが、孫末代までと願い、長い事大切に使われてきた。
それがいつの間にか風景の一つとなり、そこに無意識に美しく佇んでいる。
利休は、普請するに「異風になく、けっこうになく、さすがてぎわよく、目に立たぬ様よし」 と。
芭蕉は、古くて新しいことを求めて「不易流行」と言う言葉を残している。
家造りは生涯をかけた人生の大仕事である。
肩の力を抜いて真剣に、飽きなくて末長く使えるものを造っていければと願っている。
川上