普通の幸せ
今までやってきた仕事だが、住宅の設計がなぜ必要なのかと改めて考えてみた。
その答えはつまるところ「家族の幸せの場づくり」をサポートすることではないかと思う。
幸せの拠点として、まずは最小のお金で最大の効果を出す。
最大の効果とは丈夫で長持ちで飽きがこなくて癒されるといった、ごく普通の「目的」が満たされることでしょう。
とは言え昨今は構造や法律・省エネ・環境・経済性などといった「手段」としての難解な数値的答えが求められてきて、昔の様に本人が理解して何が自分にとって必要で、幸せか、判断できなくなってきている。
我々専門の者でも常に注意をして対応しなくってはいけない時代になった。
突き詰めれば本来設計という行為は不要であるが、この時代はこの「サービス業」は不可欠となってしまった。ここでもお金がかかることになった。
さて生活における幸せとはなんであるか…?
特別でない何気ない普通の暮らしの継続だと思う。
巷の情報は自然災害や事故・犯罪など普通では無い現象頻繁に流されている。
その時になって初めて今までが普通だったこととその大切さに気づく気がする。
その思いは特に今強い。
だとすると普通の暮らしとはどうあるべきかと考えるに、この国の本来の住まいのかたちを見直すことだろう。
アニメ映画の「この世界の片隅に」が大ヒットしているという。
特に若者の間で評判だという。戦時中のあのヒロシマで、つましく明るく暮らす少女や家族の生活が丁寧に綴られている。当時と共通する不安は一見豊かに見える現代にレイヤーとして流れているが、だからこそ癒されるのだろう。
翻って、今まさに「日本の暮らし」を取り戻して欲しいのである。
それが癒しであり働く意欲であったり、
ひいては家族の幸せな生活にに繋がると確信している。
川上