その10 民家は今よりはるかに大切に使われてきた。
民家の定義は難しいが、いわゆる『民家』と呼ばれるものは明治以降から戦前までの僅か100年間で、戦後は全くというほど造られなくなった。
この国は高度経済成長と共に核家族化が進み、早く安く便利な住宅が大量に造られ、庶民が簡単に家を持てる様になった。その上新築こそが進化であり価値があると業界も建て替えを煽っている。
ここで失ったものはモノの大切さや美しさと心である。


そもそも住まいははそう簡単には造ることができなかった。
資金も材料も技も。
だから少なくとも親子3代・孫末代までと使い続けることが当たり前で、建て直す事は夢にも思わなかった。
一旦造られると、代が変わる約25年毎にその時代に合わせて壊すのではなく手入れをして使い続けてきた。
古民家を調べると創建当時のままではなく、その全てに治した形跡が残っていてその心までもが切実に伝わってくる。釘一本でも埋木でも、使い続ける傷や汚れまでにも勿体ないからという言葉が滲み出ている。
TV番組のファミリーヒストリーの気分だ。


使い捨ての時代、こと民家に関しては大切にしたいことで、懐かしさの為でなく今後の進歩のために必要なのだ。
『もののあわれ』というこの国の価値思想がある。
千利休はいい建物とは『埋木の多いが宜し』と言っている。
キズ付いた材を嫌う大工の話ではなく、どんなに傷んでいても命があるかぎり治して使い続けることこそ価値があるとういことであろう。先人はそれをやってきたのだ。
民家再生ばかりでなく、全てのモノに残すものと取り替えるものとの見極めを大切にしたい。
川上